お知らせ
2023-06-01 12:34:00
先日、初めての所へお参りに行くのに、カーナビで設定してから出発しようとすると、目的地は登録されていない場所でした。結果的に目的地には着くことができましたが、途中、運転しながら時間どおりに着けるかどうか、道は間違っていないかなど心配で、片道2時間ほどの道中、終始、気が気ではありませんでした。
このことを私たちの人生に置き換えてみるとどうでしょうか。やがては終える自らのいのちはどこへいくのか、何もわからず不安のままに生きていく人生は、あまりにも寂しく、空しい人生と言えないでしょうか。
親鸞聖人はご和讃の中で「本願力にあひぬれば、むなしくすぐるひとぞなき、功徳の宝海(ほうかい)みちみちて、煩悩の濁水(じょくすい)へだてなし」と示され、阿弥陀さまのお救いやおはたらきをいただきながら生きている人は、決してこの世を空しく過ごすことはありません。それは阿弥陀さまの功徳が海のように満ち溢れるからです。濁った水のような煩悩も、そのはたらきを遮ることはないのです。と、いただかれました。
お念仏の教えに出あいさえすれば 同じ人生でも、まったく違った人生を歩むことができる。人間に生まれてきた意味、生きがい、本当の喜びに出あうことができるのだと、くり返し呼びかけておられるのです。
「往き先がわかれば生き方がわかる」
お浄土という仏さまの世界に生まれていくこの身であるとお聞かせいただくことにより、今を生きるうえで何をたよりにしなければならないかが明確になり、安心してこの世界を歩んでいけるのであります。