お知らせ
2022-02-03 07:58:00
私たちは、普段、意識することはありませんが、誰もがいつどうなってもおかしくない〝いのち〟を生かされています。本願寺第八代蓮如上人は『白骨の御文章』というお手紙の最後の部分に、
「されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。」
つまり、「人間のはかないことは、その寿命が老いも若いも定まりのない境界なのですから、どのような人も早く後生の一大事(自身の生死の大問題を解決すること)を心に留めて、その生死の問題を心から阿弥陀仏におまかせして、南無阿弥陀仏とお念仏申すべきであります。」
と、世の無常を示されながらも、限りあるいのちの中で、阿弥陀如来の尊いご本願に出会う大切さを説かれました。
「いつでも、さようならのできる身になっていますか」とは、いつどうなってもおかしくない人生を精一杯生き、〝いつでも、お念仏を喜ぶことができる私になっていますか〟ということでもあるのです。