お知らせ
2021-05-04 22:45:00
私たちは学ぶということを通して多くの知識を得ます。しかし、ともすれば知識を得たことにより、心のどこかで他人より自分の方が賢いのだという思いが生まれることがあります。
仏さまの教えを聞かせていただくということは、自らを知るということです。
親鸞聖人は『愚禿鈔』の中で「愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」(私の心は、外見では賢く振舞っているが、その中身は煩悩にまみれ、愚かである)と示されました。
親鸞聖人は仏教を学んでいく中で、今まで自分が自分のことをいかに分かっていなかったかということを知り、自分の奥深い部分に根付いている愚かさに気づいてかれたのであります。
私たちが仏法に出会い、聴聞させていただくということは、仏教の知識を得て賢くなっていくということでなく、教えを聞けば聞くほど、自身の本当の姿が見えてくるということです。